1908〜1984 評論家。日本ジャーナリズト専門学校・初代校長。佐賀県出身。本名は青木滋。
父親は厳格な軍人であったが、それに対する反発もあり、マルクス主義に傾倒。
文化学院文化部卒。「せるぱん」編集者を経て、中央公論社へ。
1944年「中央公論」編集次長時に言論弾圧の”横浜事件”に連座し、終戦直後まで獄中生活を送る。
戦後、初代「世界評論」編集長を経て、編集者出身のフリーライター第一号となる。以後評論家として文筆活動に専念。
1973年の金大中事件後は、日韓関係に深く関わり、日韓連帯連絡会議の代表として活躍する一方、冤罪、再審事件で積極的に発言、救援運動団体の全国連絡会議の代表委員をつとめた。
「叛逆者」・「冤罪の恐怖」・「反骨の系譜」・「現代の英雄」