青田昇

スポーツ

青田昇

あおたのぼる

戦後のプロ野球選手。通称「じゃじゃ馬」。

右投右打、ポジションは外野手背番号は32→12→23→1番。

1924年11月22日生まれ。兵庫県三木市出身。

1942年、旧制滝川中学を中退し、東京巨人軍(現・読売ジャイアンツ)に入団。

1943年には10代ながら打点王を獲得。これは現在も破られていない最年少記録である。同年シーズン終了後、応召を受けて陸軍航空隊へ。

復員後、46年、47年は阪急ブレーブスに転じる。

1949年ジャイアンツ復帰。本塁打王首位打者の二冠王。25本塁打は僚友の川上哲治と並び、大下弘の20本塁打を更新する当時のプロ野球新記録。

1951年本塁打王打点王の二冠王。

1953年大洋松竹ロビンスに移籍。同年、古巣巨人戦でサイクルヒットを達成。

1954年、二度目の本塁打王を獲得。

1955年松竹の撤退に伴い球団名は大洋ホエールズとなるが、このホエールズでも56年、57年、二年連続本塁打王

1959年、古巣阪急に復帰し、そこで現役を終えた。

通算本塁打数265、通算打点1034、通算打率.278ながら、本塁打王五回は王貞治の15回、野村克也の9回に次ぐ史上三位*1

通算盗塁数も155を数え、打つだけの選手ではなかった、2リーグ分立直後のセリーグを代表する名選手の一人である。

引退後は阪神タイガース阪急巨人のコーチを歴任。

その後は評論家となり、「球界ご意見番」として人気となった。

1997年、逝去。

*1本塁打王5回は他に中西太落合博満