元日本代表のサッカー選手・監督。
ポジションはミッドフィールダー。
1939年3月13日、生まれ。広島県福山市出身。
広島県立福山葦陽高等学校卒業後の1957年、東洋工業に入社。天皇杯2度の優勝に貢献した。
1962年には日本代表に選出されるが出場は1試合のみである。
1968年に新設された藤和不動産サッカー部にコーチ兼任として移籍。1972年にはJSL1部に昇格させた。
1975年、フジタ工業サッカー部に名称変更後、監督に就任。マリーニョ、カルバリオ、セイハン比嘉、古前田充、植木繁晴、上田栄治らを率いて1977-78年シーズンを史上最多得点(64得点)でJSLを初制覇。1979-80年も優勝。1977年、1979年と天皇杯も2度制覇した。
1986年、日本代表監督に就任するが、翌年のソウルオリンピックアジア地区予選で本大会出場を逃し辞任。
その後、フジタに戻り、Jリーグ発足後はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)の取締役。
2001年、FC東京アドバイザー就任。
2004年、日本サッカー協会技術委員会委員に就任。
2018年4月26日、死去。