石見国邇摩郡の北東端に位置する港町。現在の島根県大田市仁摩町宅野。沖合に韓島(辛島)、麦島、逢島があって北風を防いでいる。17世紀初頭には町場が形成されており、石見銀山への物資補給基地であったともいわれる。 益田氏と宅野氏 17世紀初頭の宅野とその住人 石見銀山との関係 参考文献 益田氏と宅野氏 平安末期には益田氏の支配がおよんでおり、元暦元年(1184)の「源範頼下文案」に藤原(益田)兼栄・兼高の所領の一つとして「毛(宅カ)野別符」がみえる(「益田家文書」)。 貞和七年(1351)三月の「益田兼忠去渡状」には、宅野別符の地頭職が益田兼忠の「重代本領」とあり、益田氏本宗家が代々領地してきたこと…