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石田英一郎

(読書)
いしだえいいちろう

石田英一郎(いしだえいいちろう)。文化人類学者。 1903年〜1963年。
戦後、日本で文化人類学の大学での定着、普及、発展と社会での普及や知名度を上げることに最も影響を与えた研究者の一人。
旧制一高校、京都大学経済学部では、マルクスに傾倒した。
大学時代にはネフスキー(言語学、民俗学)とも接触があった。
1927年に共産党に入党し、党員として活動。1928年、三・一五事件で逮捕され、15年の禁固刑に処せられるも、転向せずに1934年に出獄した。
獄中では、モルガンやフレーザーの書物にふれ、文化人類学の基礎がそのころには出来ていた。その後、東京で岡正雄や柳田国男(柳田國男)と出会い、文化人類学への道を歩み始める。
1937年〜1939年にかけて、世界史の研究のために、ウィーン大学民族学科に留学した。この地で、騎馬に関する研究に着手し、その研究が後に『新版 河童駒引考―比較民族学的研究 (岩波文庫)』としてまとまった。
日本の河童引伝承とユーラシア諸地域のパターンを比較検討して、歴史的系統を追求した。
石田は首尾一貫して歴史への関心が強く、幅広く、文化を現在とその変遷の二つの側面から研究することを主張し続けた。
文化人類学の基礎として、言語学、考古学、自然人類学など含む総合人類学を構想した。
研究対象地域はユーラシアのみならず新大陸にまで及んでいた。る。また、日本文化に関しても、民族、神観念、農耕、国家、皇室などの起源や系統に関心を寄せ、数々の会合を成功させ、業績として著作の形でまとまっている。(『シンポジウム日本文化の源流―農耕文化の起源 (角川選書 82)』『日本文化論 (ちくま文庫)』など)
日本民族学会でも、編集長、理事長、会長などの要職を歴任した。
没年時には、多摩美術大学の学長に選任されていた。

桃太郎の母―ある文化史的研究 (講談社学術文庫 (664))

桃太郎の母―ある文化史的研究 (講談社学術文庫 (664))

文化人類学入門 (講談社学術文庫 29)

文化人類学入門 (講談社学術文庫 29)

人類学

人類学

など

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