赤坂城の戦い(あかさかじょうのたたかい)
1331年、河内国の赤坂城での、笠置山を落ち延びた護良親王を擁した楠木正成と幕府軍の戦い。後醍醐天皇は鎌倉幕府倒幕計画(元弘の変)の発覚により、宮中を脱出し笠置山で挙兵、これに楠木正成が呼応し赤坂城で挙兵した。幕府軍は、笠置山を約1ヵ月後に陥落させた。赤坂城の楠木正成は、幕府の大軍を前に少数で渡り合い、城に火をかけて自害したように見せかけ姿をくらませた。また、後醍醐天皇は隠岐島へ配流とした。しかし、これで終わらず、護良親王と楠木正成は潜伏して機会を伺い、千早城の戦いに続くことになる。