江戸時代末期に結成された新政府軍の東海道鎮撫総督指揮下の一部隊。隊長は相楽総三。
1868年1月8日に近江国松尾山の金剛輪寺において結成される。赤報隊は新政府の許可を得て、「年貢半減」を宣伝しながら信州へ進み、反幕府の民衆の支持を得た。しかし、新政府は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さないようにした。そして、新政府は財政的に年貢半減の実現は困難であるとして密かに取消し、年貢半減は相楽らが勝手に触れ回ったことであるとして、公家の高松実村を盟主としていた高松軍とともに偽官軍の烙印を押されて新政府に使い捨てられた。1868年の3月3日に新政府軍によって、下諏訪郊外で相楽らは処刑された。しかし、赤報隊に加わっていた公家は処刑から外された。