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川喜多和子

(映画)
かわきたかずこ

フランス映画社・副社長。1940年、川喜多長政川喜多かしこの長女として生まれる。
5才まで中国で過ごし、終戦後、母親と二人で日本に引き揚げる。
1950年中学校卒業と同時に、15才でイギリスに留学。このヨーロッパ滞在中、両親に連れられて数々の映画祭を体験したが、この間の経験が、後の映画に対する優れた見識を生んだ。
1957年日本に帰国した後は、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」の助監督を務め、映画監督になることを目指す。しかし、当時の日本映画界は、女性監督を受け入れるような体質ではなかった。
1960年、伊丹十三と電撃的に結婚。伊丹が監督する作品「ゴムデッポウ」の脚本を書き、助監督を務めた。だが、それ以後は、映画の撮影現場を離れた。
1967年、後の夫の柴田駿が主宰するフランス映画社に入社、副社長として活躍。
フランス映画社は、ルキノ・ビスコンティ監督の「家族の肖像」、フォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」、テオ・アンゲロプロス監督の「旅芸人の記録」、ホウ・シャオシェン監督の「悲城情市」など、映画史上に残る名作を続々と配給・公開した。
また、“溝口、黒澤以後”の大島渚、柳町光男、小栗康平などの優れた日本の映画監督を世界に紹介した。
そして、母、かしこが病に倒れると、川喜多記念映画文化財団の仕事も引き受け、極めて多忙な日々を送ることになった。
1993年、くも膜出血による呼吸不全により死去。享年53歳。

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