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浅井長政

社会

浅井長政

あざいながまさ

 浅井長政  天文14年(1545年)‐天正元年9月1日(1573年9月26日)

 戦国時代の武将で大名。領国は現在の北近江である。

 15歳で元服備前守と称す。

 織田信長の妹、お市と結婚し、織田家と同盟関係を結んだ。信長は長政を高く評価していたらしく、可愛がっていた妹、お市と長政の結婚を喜び、婚姻に関わる費用は全額負担したという。

 長政はお市との結婚以前にも多くの側室を抱えていたが、お市との夫婦仲は非常に良く、周囲に羨まれるほどのおしどり夫婦であったという。二人の間には2男3女が生まれた。特に3人の娘(茶々、初、江)は浅井三姉妹として有名である。

 長政は織田家との同盟を結ぶにあたり、浅井家と古い同盟関係にあった朝倉家を攻めないという約定を交わしていたが、信長がこれを一方的に破って朝倉家を攻めたため、信長と対立。天正元年(1573年)には小谷城信長軍に包囲された。信長は長政を殺したくなかったらしく、再三にわたって降伏勧告をしたり、領地を安堵して懐柔しようとしたが長政はこれをすべてはねのけ、交渉は決裂。

 お市は仲睦まじい夫長政と運命を共にしようとしたが、長政に説得され、子供達をつれて信長軍に投降した。


1573年9月1日(9月26日)、長政は父の久政と共に自害した。享年29。


官位

備前守、贈従二位中納言江戸幕府三代将軍、徳川家光の外祖父にあたるため、死後の寛永9年(1632年)に贈られた)


浅井三姉妹

戦国随一の美女と謳われた母、お市の方の気質と美貌を受け継いだ長政の娘達はいずれも戦国乱世の中で数奇な運命をたどることとなる。浅井家の血は崇源院(江、江与または小督とも)によって徳川幕府264年の礎となり、現在に至るまで受け継がれている。


茶々淀殿)・・・・・ 豊臣秀吉正室

初(常高院)・・・・・ 京極高次正室

江(崇源院)・・・・・ 徳川秀忠正室。徳川三代将軍家光の生母。将軍の正室(御台所)として将軍生母となったのは、彼女が江戸幕府の歴史の中で唯一の例。


読みについて

近江浅井氏は「あさい」と読まれることが多かったが、近年は地名に倣って「あざい」とすることも多い。


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