壱岐の宿なるほど硬し新豆腐 (河合曾良の墓) 曾良の墓が、壱岐にあると知ったのは司馬遼太郎の「街道をゆく」からだった。 司馬遼太郎によれば、曾良は芭蕉の亡きあと、幕府の巡見使の一員となって壱岐にわたり、島の北端にある勝本の港の海産物問屋中藤家に泊まった。そこで曾良は病に伏してそのまま亡くなった。墓はその中藤家の墓地にある。とのこと。 勝本には城跡が残っている。これは秀吉が朝鮮出兵の折に急造したものらしい。穴太衆の石垣が残っていて国指定の文化財である。展望台からは遠く対馬が見渡せた。 墓はその一角にあるというので四人で捜し歩いたのだが、なかなか見つからない。E氏は荒れ道を先導し、S氏はGPSを使…