早川孝太郎

読書

早川孝太郎

はやかわこうたろう

明治22(1889)年12月20日生まれの民俗学者・画家。現在、愛知県新城市横川となっている長篠村大字横山に、早川要作の長男として生まれた。

主著=『花祭』、『三州横山話』、『猪・鹿・狸』など。

洋画家を志して上京、のち日本画に転じ、柳田國男の弟である「松岡映丘」に弟子入りしたことがキッカケで、柳田國男に師事して民俗学をも勉強するようになった。

愛知県東栄町を始め北設楽郡に点在する修験道神道系の奇祭;「花祭」を1600頁にも及ぶ浩瀚な本で詳細に紹介し、不朽の金字塔を樹ち立てた。

平易にして、観察眼の鋭さ、実地に踏査し、地域住民と打ち溶けて古老や市井の学者〜子供たちに到るまでじっくり聞き込まれた逸話、滲み出てくる経験智など、文明が成熟し頭打ちとなった現代にスッポリ失われた部分(;中心窩)が去り気なく提供されており、まるで小津安二郎成瀬巳喜男などの映画に引きずり込まれて錯誤するように、いや勿論それ以上にガツンッと来てフワワワァ〜と誘われてしまう。

かの芥川龍之介も早川の『三州横山話』を「柳田の『遠野物語』に匹敵する名作だ!」と大絶賛し、例によって幾らか抜書きしている。

また、魯迅の実弟である周作人(1885〜1966)も同様にベタ惚れし、早川の『猪・鹿・狸』を長文で紹介している。

そして早川の研究・調査対象は郷里のみに留どまらず、離島フィールドワークを始め、全国津々浦々にまで及んでいる。(;宮本常一のようなものだ。あるいは、早川自身その生家を索めた菅江真澄のような。)

この際の成果である『古代村落の研究くろしま』を、沖縄の婚姻』や『海女記』で有名な秋田県生まれの民俗学者瀬川清子(1895〜1984)は暗誦するほど読んで結果、その人生航路を大きくシフトするにまで至っている。(そういう意味では“ソフトな魔笛”といってもいいかも知れない。)

そして後輩の“世間師”〔しょけんし〕同様、農学の研究を深め、九州帝大の研究室で農村経済学を学び、近世の農政学者;大蔵永常(1768〜1860)の業績を検証しながらその伝記も書き上げ、農民教育協会の鯉淵学園の講師も依頼されて講義を施すなどした他、戦時の食糧問題にも積極的に提言した。

昭和31(1956)年12月23日東京にて病没。