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大逆事件

社会

大逆事件

たいぎゃくじけん

1910年11月、刑法73条の「大逆罪」(1908年10月より実施、1947年改正により削除。天皇太皇太后皇太后皇后皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス)により幸徳秋水外25名が大審院に付され翌年1月に24名に死刑判決(12名は翌日無期に減刑)が出され12名が処刑された事件。

大逆事件」と一般的に言われる。他の「大逆罪適用事件」と区別する場合は被告たちの中心人物とされた幸徳秋水の姓から「幸徳事件」と言われる。

被告の内、宮下太吉外3人は爆裂弾を使用して明治天皇への投擲を考えていたが計画は中途、実現に至るには曖昧なものであった。

大審院が有罪とした幸徳中心の全体計画なるものは完全なフレームアップである。

元老山縣、首相桂の藩軍閥政府による無政府主義者社会主義者圧殺の政策のもと弾圧が拡大し、無政府主義者社会主義者だけではなく被告とされた家族、友人たちにも捜索押収、取調べが行われた。またその過程で不敬罪弾圧、出版物への取締が強化された。

 

判決と処刑

1911年1月18日、24名に有罪判決、新村善兵衛、新田は爆発物取締罰則のみ認定、「大逆罪」を承知していたという調書は信用できないとされた。19日、遅い時間に12名の特赦決定。

24日、東京監獄にて11名絞首が行われる。幸徳秋水、午前8時6分。新美卯一郎、午前8時55分。奥宮健之、午前9時42分。成石平四郎、午前10時34分。内山愚童、午前11時23分。宮下太吉、12時16分。森近運平、午後1時45分。大石誠之助、午後2時23分。新村忠雄、午後2時50分。松尾卯一太、午後3時28分。古河力作、午後3時58分。宮下太吉は執行寸前「無政府党万歳」と叫んだと伝わる。25日、午前8時28分、管野須賀子絞首。