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沢庵宗彭

読書

沢庵宗彭

たくあんそうほう

江戸時代前期の臨済宗の禅僧。一説に「沢庵漬け」の名称のもととされる。

天正元(1573)年生、正保二(1645)年遷化。

但馬出石の領主山名宗詮に仕える能登守秋庭綱典の子。母は牧田氏。諱は最初秀喜、後に宗彭。

但馬国宗鏡寺内の勝福寺で希先秀先について得度。その後、大徳寺の僧董甫宗仲について上京、三玄院で修行し、董甫の師である春屋宗園について諱を宗彭と改める。

諸僧に学んだ後、慶長十四(1609)年に玉甫紹の推挙により第百五十三世の大徳寺住持となるが、三日で退山した。その後は宗鏡寺の復興などに尽力。

寛永六(1629)年には、妙心寺大徳寺法度に対して幕府に意見書を提出し、玉室宗珀とともに処罰*1出羽国上山に配流された。いわゆる紫衣事件である。

後に許されてからは、江戸に戻り、徳川頼房・柳生宗矩の篤い帰依を受け、江戸品川東海寺などの開山となる。

著書『不動智神妙録』『臨済録抄』。

*1:この際、同志であった江月宗玩のみ処罰されず、「降る月に沢の庵も玉の室も流れて残るにごり江の月」と落書された。