辰之助

アート

辰之助

たつのすけ

歌舞伎役者・尾上辰之助

尾上松緑の前名。

屋号は音羽屋

初代(昭和21〜昭和62)

二代目・松緑の子。

初名は藤間左近。昭和四十年、「寿曽我対面」五郎にて初代・辰之助襲名

昭和四十年代は、新之助(十二代目團十郎)、菊之助(七代目菊五郎)とともに「三之助トリオ」として売り出した。

父・松緑に仕込まれた技芸は時代・世話ともに優れ、同世代で群を抜いていた。舞踊家としても、藤間勘右衛門として活躍。切れ長の目が特徴の堂々たる押し出しもよかったが、何よりせりふの歯切れのよさ、すがすがしさは、あとにも先にも並ぶものがいない。その口跡を生かして、テレビでも、「草燃える」「徳川家康」などで高い評価を得た。

かつての仲間が團十郎菊五郎となっていく中で、芸に悩んだようで、深酒をして体を壊し、昭和六十一年に長期休演。年末に斧定九郎、「お祭り」鳶頭で復帰したが、翌年正月・国立劇場の「毛抜」粂寺弾正を演じた二ヶ月後、父・松緑、息子・嵐(四代目松緑)に先立ち、急死。

嵐が四代目・松緑襲名した際に、三代目・松緑を追贈される。