谷三十郎

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谷三十郎

たにさんじゅうろう

新選組七番隊隊長。天保6年以降生年〜慶応2年9月1日。備中松山板倉勝静の家臣

槍術指南の谷三治郎の長男として生まれる。しかし安政3年に主君の勘気に触れ、お家断絶。

次弟・万太郎とともに南堀江町に武芸道場を開く。万太郎の子孫に伝わる話では

谷三十郎は剣一筋で、槍術師範は弟の万太郎だったらしい。

池田屋事件でも兄弟ともに参戦。17両の褒章金を賜っている。

末弟(息子とも)・周平を近藤勇の養子にするが、何かとうるさい存在になってゆく

三十郎を疎ましく思う者もいたらしく、慶応2年9月1日に祇園坂下で頓死。

屯所で連絡を受け、当番だった篠原泰之進は遺体を確認後「谷三十郎の致命傷から

見て、左利きの遣い手によるものだ」とし、「近藤勇の密命を帯びた斎藤一

やったのではないかと思う」と残している。

土方歳三の命により斬られたとも言われ、その他に卒中による病死という説もある。