スマートフォン用の表示で見る

丹羽長重

社会

丹羽長重

にわながしげ

丹羽長重(にわ・ながしげ、1571〜1637)

安土桃山江戸初期の武将。長秀の子。母は織田信長養女。幼名鍋。通称五郎左衛門。1585年,父の遺領越前国の大部分と加賀能美郡を継いだが,家臣の軍律違反により同年,同15年と羽柴秀吉から相次いで所領を没収され,若狭,次いで加賀松任4万石に減封された。しかし,その後小田原攻めや朝鮮出兵などに参加した結果,1598年,加賀国石川・能美両郡に8万5000石余を加増されて小松城に移り,従三位,参議に上った。同5年の関ケ原の戦では前田利長と加賀で戦っていて参陣しなかったため所領を没収され江戸品川に蟄居したが,同8年,かねてから懇意だった徳川秀忠の斡旋で,常陸国古渡に1万石を与えられた。その後1619年1万石,同8年に3万石を加増されて陸奥国棚倉に移り,1627年には陸奥国白川・石川・田村・岩瀬4郡に10万石余を得て白河城城主となった。