1281年頃に高麗の僧一然によって記述された『三国遺事』と言う私史に初めて出てくる古代朝鮮の王朝名。古朝鮮、王倹朝鮮とも呼ぶ。
紀元前2332年に成立したことに成っている。
かつて壇君王倹なる人物が居て、王朝を開いたとある。在位1500年。桓因の諸子桓雄が天下(地上)に関心を持ち、地上に降り立ち方々を回って教化した。時に一頭の熊と虎が桓雄の前に降り立ち、人間になりたいと言うので、桓雄は、艾(よもぎ)と蒜二十個を与え、これを食べて百二十日間に日を見なければ人間になれるだろうと言った。虎は耐えきれず人間になれなかったが、熊は二十一日目に女性となった。熊女は結婚する相手が居なかったので、神に子が授かりますようにと祈った。そして、桓雄が人の姿に変えあらわれて結婚して産まれた子が神と熊のハーフの壇君王倹である。
王倹は、即位後50年後平壌に都を移し、ここで初めて朝鮮と言う国号をなのった。
(『三国遺事 巻一 紀異第一 古朝鮮』より要約引用)