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馳浩

スポーツ

馳浩

はせひろし

政治家衆議院議員4期・参議院議員1期)。自民党森派町村派)所属。元プロレスラー1961年5月5日生まれ。妻は高見順の娘でタレントの高見恭子

専修大学卒業後、母校の星稜高校石川県)で国語教師を勤めながらアマレス日本代表としてロサンゼルスオリンピックに出場。その後大学の先輩である長州力を慕いジャパンプロレスに入団、プロレスラーになる。

長州力新日本プロレス復帰に伴いジュニアヘビー級期待の新星として同じく新日に参戦。IWGPジュニアヘビー級王座に就いた。しかし、高田伸彦(現・高田延彦)、越中詩郎全盛期のジュニアヘビー級でスターとなることはできなかった。ヘビー級転向後も目立った活躍はなく、本人は引退して大学院進学も考えたという。そんな中、1990年6月12日福岡大会で、試合中のアクシデントにより試合後に馳の心臓が一時停止するという大事件が起こった。幸いにして一命を取り留めた馳は、この後コスチュームを黒から黄色と青に、試合中もパフォーマンスを多用するという明るいスタイルへと変貌を遂げる。更にジャパンプロレス同期生である佐々木健介との「馳健タッグ」でIWGPタッグ王座を獲得し、中心選手として人気実力共に定着するに到った。また道場ではコーチとして新人の育成に尽力し、アマチュアレスリング選手養成のために「闘魂クラブ」を設立するなど、リング外でも力を尽くした。*1

現在は全日本プロレスを中心にフリーで活動し、BATTに所属。

国会議員としては1995年の参議院議員選挙にて自民党の推薦を受け初当選。(後に自民党に入党)2000年には衆議院議員選挙にて石川1区から出馬し当選。2009年現在4期目。

議員活動に専念するため、2006年7月23日の全日石川大会を以って現役引退。


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*1:ただし、この馳コーチの時代から新日本プロレスがつまらなくなったという意見が一部古参ファンの中にあるのも事実である。