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竹入義勝

社会

竹入義勝

たけいりよしかつ

政治家。元公明党委員長。1926年1月10日生まれ。

国鉄職員を勤務後、文京区議から創価学会の支援で当選。その後、東京都議を経て、1967年の衆院選公明党から立候補し、初当選。その直後、公明党委員長に就任。およそ20年務めた。1990年に引退。

1998年の朝日新聞に回顧録を掲載。公明党創価学会の関係は政教一致発言で公明党から1ヵ月にわたり、竹入の言動を批判。一時、騒動にまで発展した。また、その直後に実弟の批判手記を発表した。以来、竹入は、姿を消した。

学歴について

竹入はこれまで衆院選に8回連続当選した。その際、当選の経歴で朝日新聞には1967年の衆院選では政治大学校卒とあったものの、1969年以降1986年まで学歴を記していない。毎日新聞には経歴を政治大学校卒と記している。しかし、自身は陸軍航空士官学校卒とした。1998年の回顧録でそれを標記せず、学歴あやふやにしたことで公明党OBや当時の議員から竹入の学歴の矛盾を批判。この件についての謝罪2014年現在も全くなし。

引退後

また、政界引退後、地盤を譲った山口那津男に応援演説に顔を出さなかったことで山口は、後年、憤慨を露わにした。

(1998年当時は落選中で聖教新聞学会の最古参の証言として掲載した) 竹入は、創価学会員の会員だったが、竹入回顧録問題発覚後、「FRIDAY」には、1990年の政界引退当時に脱会した。1998年9月28日から半年もの間、聖教新聞の寸鉄で「竹入批判」を展開。その竹入について1998年10月16日に「竹入独りよがりの回顧録で馬脚を現す。真実の証言続出針のむしろが竹竹(チクチク)」と非難した。