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竹之内雅史

スポーツ

竹之内雅史

たけのうちまさし

60〜80年代のプロ野球選手。野球監督。

右投右打、ポジションは三塁手外野手背番号は29→2→27→2番。

1945年3月15日生まれ。神奈川県出身

鎌倉学園高校で1962年センバツに出場。日通浦和では都市対抗野球に出場した。

1968年ドラフト3位で西鉄ライオンズに入団。

1970年三塁手として一軍に定着。

1970年ライオンズの主力選手として活躍。

死球の多さでも知られ、1975年、1シーズン17死球パ・リーグ記録を樹立。

1976年外野手に転向。

1979年田淵幸一古沢憲司との2対4の交換トレードで、

真弓明信若菜嘉晴竹田和史と共に阪神タイガースに移籍。

1982年、現役引退。

通算166死球は当時の日本記録。*1

また、144死球パ・リーグ通算記録として残っている。

1983年、打撃コーチに就任。1985年、二軍打撃コーチに転じる。1987年、退団。

1989年、福岡ダイエーホークスの二軍打撃コーチに就任。

1991年横浜大洋ホエールズの打撃コーチに就任。

1993年横浜ベイスターズの二軍打撃コーチに転じる。

1997年横浜ベイスターズの二軍監督に就任。1998年、退団。


1999年、台湾プロ野球統一ライオンズのコーチに就任。2003年、退団。


2005年、羽衣国際大学野球部の監督に就任。

*1:2004年、清原和博に更新される。