築城時期は古く、平安時代末期に河村秀高によって築かれたという。 秀高は、藤原秀郷の後裔波多野義通の弟であるが、この河村郷を領したことから地名を名字にしたとされる。だが、河村郷は平安時代には史料に見られないことから、「駿河記」などから、秀高は遠江国河村荘を開発して河村を称したという説もあるようだ。 この説に従えば、秀高が築城者ではなく、その嫡男義秀が本家の波多野氏に遠江から招かれて西端の守備を任され、河村郷を興し、河村城を築いたということになる。 いずれにせよ、義秀の代には河村城に在ったのは間違いなさそうだ。ただ、その頃の河村城は詰城であり、簡素な城であったと思われる。 義秀は、治承4年(118…