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中川幸夫

(アート)
なかがわゆきお

いけばな作家。(1918-2012)

その作風はそれまでの生花の概念を壊す独特なもので、中でも自作のガラス容器に900本のカーネーションをつめた花坊主(写真)などが有名。また、土門拳に写真を学んだ事もあり、活花作品を自ら撮影した作品は、静物写真の作品としても評価が高い。

他ジャンルの芸術家との共作も多く、活花以外にも書や写真などの作品も多く発表している。
また、フランスのカルティエ財団で個展が開かれるなど海外での評価も高い。

略歴

1918年7月25日、香川県丸亀市に生まれる。3歳の時、怪我がもとで脊椎カリエスにかかり、背骨が曲がったままになる。
23歳の時に、親族が属していた池坊の活花と出会い、門下で才能を開花させる。

1949年に「いけばな芸術」へ送った作品写真が重森三玲に認められたものの、家元制度に反対した事や、白菜を活けた「ブルース」という作品に対する意見の食い違いなどから家元と絶縁。33歳で上京して、以降どこにも属さず、弟子も一切取らずに活動を始める。その際に千家古儀の家元で、中川の作品に衝撃を受けた半田唄子も、弟子と家族を捨て上京。中川と籍を入れる。

池坊から破門による締め出しと流派に属さなかったため、いけばな作家としての仕事らしい仕事も無ければ、作品を公に発表する機会も無かったため、流派の枠外である喫茶店やキャバレーに半田が花を生けて、僅かな収入で生活していた。貧困を極めたというその様子は早坂暁の「華日記―昭和生け花戦国史 (小学館文庫)」に詳しく書かれている。

1984年に半田が亡くなってからは一人で創作を続ける。
その評価は98年にカルティエ現代美術財団に作品を出品した前後から高まり、既存の流派の枠にはまらない孤高の芸術家として国内外に認知される事になる。

2012年3月30日に93歳で亡くなるまで、郷里である香川県を拠点に活動を続けた。2002年には、妻有アートトリエンナーレで舞踏家・大野一雄とのコラボレーション「天空散華」を行なっている。

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