中曾根康弘

社会

中曾根康弘

なかそねやすひろ

中曽根康弘とも表記される。「風見鶏」と呼ばれた政治家。倅は中曽根弘文

従軍慰安婦制度を海軍主計将校時代に発明した人。教育行政に関わって「従軍慰安婦」の記述を削除しようとしている人。「臨時教育審議会」を作り、1985年に「臨教審答申」を作成した。現在の教育行政はこの答申を基軸に進んでいる。

中曾根康弘は、九頭竜川ダム汚職(1964)、殖産住宅事件(1972)、ロッキード事件(1976)、リクルート事件(1988)に関わっていたが、「なぜか」逃げきった。ロッキード事件では田中角栄なんかよりはるかに犯罪性が明確だったのに。

東京協和・安全信組事件(1993年)の山口敏夫元労相は中曾根側近、贈収賄事件(2000年)で逮捕された中尾栄一元建設相も中曾根側近、KSD事件(2001)の村上正邦元労相も中曽根側近だった。が、「なぜか」中曾根にまでは追及の手は伸びなかった。

中曾根康弘自民党内部でも人望はあまりなかったにも関わらず自民党総裁に選ばれたのは、田中角栄ロッキード疑獄で困っており、中曽根なら自分を有利にさせるのに利用できると考え、采配を行ったからだ。読売新聞渡辺恒雄テレビ朝日の三浦甲子二の両人が目白台の田中邸に赴き、「中曽根康弘総理大臣にして下さい。あとでどんな無理な相談も聞くから」と土下座した一幕もあった。

中曾根康弘広告代理店と官製圧力団体・官製「市民団体」を作り、行政改革を進めることを得意わざとする。首相時代に行なった「非効率的な」国鉄を「民営化」する、という行政改革は、国鉄労組の分断・弱体化が狙いだった。当時は広告代理店東急エージェンシー」と組んでいた。東急エージェンシー首相在任中の中曽根康弘から直接電話で指示を得た。東急グループ総帥で、日本商工会議所会頭五島昇(1989死去)が、中曾根と東大同期性だったからだ。中曾根の行政改革案の宣伝キャンペーンでは、東急エージェンシーは、主婦組織から参加者を募り圧力団体を作り、市中行進・国会前デモを組織した。中曾根と東急エージェンシーは、15000人のデモ隊動員に成功している。これで東急エージェンシーは急成長した。中曾根康弘は、現在は最大の広告代理店電通の顧問をしている。

〔K・V・ウォルフレン?『日本/権力構造の謎 上巻』(早川文庫)360−405pなどから構成〕

中曾根康弘は、長年、血盟団事件の政治テロリスト・四元義隆を政治顧問にしていた。四元義隆は社団法人北朝鮮地域同胞援護会」(目的:戦没者の遺族及び現地に残留又は帰国した邦人家族を始めとする戦争犠牲者に対する援護厚生を図り、もって広く社会福祉の増進に寄与することを目的とする。事業の概要:太平洋戦争における戦没者の慰霊等)の会長だった。

中曾根康弘の票田は、「国際勝共連合」(統一協会)、「生長の家」だ。国会内には現在200人を超える統一教会信者がいるが、それを国会に招いた一人は中曾根康弘だ。

中曾根康弘自民党改憲勢力の筆頭だ。瀬島龍三・元伊藤忠特別顧問も中曾根康弘のブレーンだった。瀬島龍三は民間憲法臨調の役員で、同台経済懇話会役員だ。