スマートフォン用の表示で見る

中村聡

ゲーム

中村聡

なかむらさとし

通称NACさん。もしくは「Hatman」(直訳「帽子男」)

カードゲームデザイナー、ライター、マジック・ザ・ギャザリングプレイヤー。定食屋の親父。

日本におけるマジック・ザ・ギャザリングの最初期からトーナメントプレイヤーとして活躍。数々のオリジナリティ溢れるデッキをデザイン、人々に夢と希望を与えた*1

また、某国立大学在学中に「マジックマスター2 紋章使い」でゲームデザイナーとしてデビュー。

その後、某大手都銀を脱サラ遊宝洞設立してゲームデザインを本業とするに至る。

デュエルマスターズの発展と普及にも大きく関与している。

主な戦績

その他MTG戦績における逸話

・世界の壁

まだ日本人がプロツアーベスト8に入ったことがなくベスト32でも凄い時代であった98年世界選手権(個人予選:7戦×3日)において2日目終了時に6位という決勝の舞台に限りなく近づいたことがあった。しかし当時はネットも発達しておらず、また日本の情報網が確立されていなかったため、NACはテンペスト限定構築戦日本で猛威を奮ったNWOを選択した…、国外ではキラーカード『落とし格子』が発見されていたにも関わらず。その結果最終日は6敗1分け、86位に終わる結果となった。これ以降01年に藤田剛志がPT東京でベスト8言語の違いによる情報の遅れに苦しむこととなる。

・日本で唯一

MTG10周年にあたり、プロツアー殿堂入りを(毎年)決めることになった。候補にあげられる条件が10シーズン以上の参加とプロツアーポイント100Pでこの条件を10周年時に満たしたのは28名で日本人では唯一中村聡が候補に上がった。上記戦績の様に、作られた年から活躍を続ける第1人者であることを証明している。

・通訳をしたがためにDQN

2001年APAC(アジアオセアニア選手権)の最終日(ベスト8対戦)の際、仕事のため決勝トーナメントをプレイすることのできないChao Peterがその対戦者斎藤友晴に賞金を一部もらうことで勝負を譲ることを提案、その際に斉藤は英語を理解できなかったために、英語に精通している中村に翻訳を依頼し、これが成立。

これは『決勝以外』に『金銭を伴って勝負のかかる取引』をしたことに対する違反で、Peter、斉藤両選手の共謀として中村も失格となった。またこの前後からゲームデザインの仕事が忙しくなり、現在の所満足な状態で参加することの出来た最後の国際大会であったといえるだけに、この結果は非常に惜しいものである。なお中村聡国際大会で失格になったのはコレ1回のみである。

主なデザイン・プロダクト

*1:社会人として働きながら実績も出してたのはすごいと思います

*2:当時の歴代日本人最高順位

*3:翔企画より発売。当時としてはめずらしい1対1で対戦するカードゲーム。ゲームの性質上大ヒットしたとは言えないが、熱心なファンを多数獲得

*4:1996年世界選手権タイプ1.5部門のデッキ。フランスの英雄、マーク・エルナンとパラレルに考案。後々までトーナメントシーンを席巻する「必要なパーツをネクロで引いてくるコンボデッキ」の原型のひとつ

*5:1998年APAC優勝デッキ。実際に回すと、すごく変な動きをする。ルール適用があれだけ厳格だった大会で使っていたというのは驚嘆に値する

*6:ウルザブロック構築のデッキ。世界的にはマイク・パスティルニクとネイト・ハイスがオリジネイターということになっている

*7:旧エクステンデッドのデッキ。世界的にはズヴィ・モーショヴィッツがオリジネイターということになっている

*8TCGコナミより発売。「リソースとはなんぞや?」との問いを突き詰めてデザインされた(ように見える)。戦略性の異様な高さが魅力

*9:TじゃないCG。リンク先を参照