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中大兄皇子

一般

中大兄皇子

なかのおおえのおうじ

●626〜671年、第34代の舒明天皇(593〜641)と第35代の皇極天皇(594〜661)の子(皇太子)。

中臣鎌足と共に、645年6月に蘇我入鹿を殺す「乙巳の変」〔イツシのヘン〕より「大化の改新」を推進。

●660年10月に唐・新羅首都の泗沘城〔シビジョウ〕(扶余)を陥落された百済の遺臣に救いを求められ、翌661年1月よりこれに応えて西征に赴く。〈これは663年8月、27000人もの兵を追加派遣するも、錦江河口で唐の水軍に大敗する、いわゆる「白村江の戦い」で終了。逃げ帰った中大兄皇子は唐・新羅の侵攻に備えて664年には対馬壱岐に烽〔とぶひ〕が、また大宰府の北1kmに渡って水城〔みずき〕を作った。〉

●661年7月に母の斉明天皇が筑紫の朝倉宮で死去すると668年1月に正式に即位するまでの7年間、「称制」を執る。

●667年3月に近江大津宮に遷都し、翌668年1月に正式に即位、「天智天皇」となる。

●670年2月に戸籍;「庚午年籍」を作る。

●671年1月に「近江令」を施行する。

●同671年12月に46歳にて死去。近代の陵形の範たる上円下方墳;「天智陵」(山科陵)に葬られる。