2014年10月10日第1刷 2021年7月25日第2刷 「晩年の孫権は老耄であった。あとつぎを二人立てて争わせ、諫言を呈した良臣を誅した。次代の皇帝は幼く、呉の国政を託された諸葛恪は軍事に着手。一度は魏に大勝するが、続けて無謀な遠征を行う。勝つということは智慧を育てないともいえる。一方、魏では曹爽一門が族滅され、政権の中枢が曹氏から司馬氏へと移ることになった。」 太子孫登の死去後、孫和が太子となり、孫権の弟の孫覇も魯王として処遇を等しくした。それは争いの元だと雇譚が上疏した。雇譚の祖父雇雍が死去後は、国政を任せられるのは陸遜しかいなかった。全琮、孫弘、全奇らの讒言を真に受けた孫権は、雇譚、雇…