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朝鮮

地理

朝鮮

ちょうせん

Choson、Korea

  1. 李成桂の立てた朝鮮王国の事。古朝鮮(箕子朝鮮衛氏朝鮮)と区別するために李氏朝鮮と呼ぶのが慣例である。
  2. 朝鮮半島東アジアの端にある半島の名。韓国大韓民国)では韓半島と呼ぶ。

略史

朝鮮史

神話的には熊女と神の子にできた壇君を祖とする壇君朝鮮朝鮮の始まりとし、約半万年の歴史があると言われている。しかし、証拠となる遺跡が無く、文献は私史である三国遺事のみであり、その存在は疑わしい。

歴史的には衛氏朝鮮からを朝鮮の始まりとする。衛氏朝鮮は、春秋戦国の燕の国の亡命者衛満が、その前の王朝(箕子朝鮮と呼ばれている)を乗っ取って樹立(紀元前194年)した国である。その後、漢に滅ぼされて(紀元前108年)、楽浪郡などが設置され、朝鮮北部は中国の直轄領に入る。南部には、三韓と呼ばれる、弁韓辰韓馬韓と言った人々が住んでいたが、風俗や言語は微妙に異なっていた様である。(三國志魏志東夷伝より)

後漢の衰退と共に遼東の公孫氏が勢力を伸ばしこの地を実質支配する。魏晋南北朝に入ると、中国は混迷の時代にはいり、事実上空白地帯となる。

扶余系の高句麗が南下して、楽浪郡(313年)、帶方郡(314年)を滅ぼし、勢力圏に組み込む。

南の三韓では、新羅(356-935)と百済(345)の勢力が伸張し、ここに三国時代が成立する。なお新羅の成立には倭人が、百済の成立には高句麗が関わっていると言う伝説がある。(朝鮮最古の現存正史である三国史記より)

この三国並立の時代は、隋・唐の中国統一によって崩壊する。唐の朝貢国と成った新羅が、唐の助力を受け、百済を(660)、ついで高句麗を(668)滅ぼし、事実上統一される。しかしながら、北部の帰属をめぐって唐と対立し、戦争を行う。後に新羅は唐と和睦し入貢、唐は朝鮮への干渉をやめる。高句麗の残党も周辺部族と連合し中国東北部を中心に勃海(698-926)と言う国を作り勢力を広げた。

統一新羅は、唐の滅亡と共に政情不安定となり、後三国時代と言われる時代に入る、後百済、後高句麗と言った国が興るが、そのうち高麗が勢力を伸ばし再統一を果たす(918-1392)。高麗は前期には国内には皇帝号を名乗り、小中華思想を見せた。

元の時代に入ると、高麗は元と激しく戦争を行ったが、結局は服属した。服属後は高麗小中華思想を表す王家の用語は格下のものに変更された。また高麗王族は元の都に住み、モンゴル貴族の娘との結婚を繰り返した。この時代、済州島モンゴルの直轄地になっていた。

明が起こり、元が北に逃れると(北元)その高麗政権では、明と北元とどちらに帰属するかを巡っての政局混乱が続き、ここに軍人である李成桂のクーデターが起こり、高麗は滅びる。

李成桂は、明に上奏し朝鮮と言う国号を承る。これが李氏朝鮮(1394-1897)の始まりである。

明滅亡後は、清に服属し、政争と秀吉の出兵以外は割合平穏な時代が続く。しかしこれは欧米列強東アジア進出と共に瓦解する。1894年日清戦争で日本が勝ったことにより、朝鮮を影響下に置こうとする日本の動きも合って、朝鮮清朝との宗属関係を解消する。1897年には大韓帝国と改称。しかし日本の侵出は相変わらず、国内も日本に対抗するためにロシアに近づこうとする勢力や、独立派、日本を利用する(乃至日本に利用される)勢力とに分かれる。日露戦争後は日本の支配力が強まり、1905年には事実上日本に制圧される。

1910年日韓併合により日本の植民地となる。民族運動は厳しく弾圧され、朝鮮語の教育は冷遇された。特に第二次世界大戦時には朝鮮語の抑圧も民族運動への弾圧も厳しくなり、朝鮮語学校教育はほぼ壊滅した。また日本軍に性奴隷として使われた女性たちの主な出身地として、日本本土、中国と並んだ。第二次世界大戦が終結し、日本から分離され南北に分割される(1945)。1948年までは南部はアメリカの軍政が、北部ではソ連の実質支配が続く。1948年大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国が成立。1950年から朝鮮戦争が勃発。1953年休戦協定が成立し休戦状態のまま現在に至る。