他人事ではない気がしている。 京都大学での滝川事件を境に、同大出身の俊英たちはファシズムの急速な膨張気配に対する危機感を深めた。昭和八年のことだ。東京では、日本共産党の理論的指導者の一部と目されていた佐野学・鍋山貞親の両名が、獄中にあって懺悔とも自己批判ともとれる転向声明を公表してしまい、それまで歯を食いしばって活動してきた全国の学生や勤労青年たちが、激しい動揺に見舞われた年である。 中井正一を中心とする京都の俊英たちは、ファシズム監視と文化防衛とに目処を置いた同人雑誌『世界文化』を発行した。中井が発行していた『美・批評』の発展拡大版との位置づけだった。同人各個の専攻分野に関する、最新の海外情…