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鄭和

読書

鄭和

ていわ

1371〜1434頃。明の武将で雲南出身の回教徒永楽帝宦官長官に任用され、1405〜1433年に7回行われた南海遠征を指揮。

54m*133mで9本マストの取宝船を始め、総数370隻の船団、3万7000人もの乗組員にも昇った大船団で、3回までは東南アジアインド留まりだったものが、次第にペルシア湾を昇り、アラビアを尋ね、アフリカ東岸はケニアの港市;「メリンディ」まで訪れた。

イブン・バトゥータニッコロ・デ・コンティといった、当時ハヤリの旅行作家たちもこの大船団を目にし、恐れ戦いたと同時に、「大航海」と称したヨーロッパの蛮族どもと大いに異なり、軍備は手薄で略奪さえ行わず、通商さえ求めぬ禁欲的な姿勢に紅毛碧眼の連中はただただ首を傾げるばかりであった。

その目的は基本的に、行方不明の前皇帝;「建文帝の探索」であったのだが、その宣伝効果に気づいた永楽帝は、高級な洗練された職人技術による財宝を方々に惜しげもなく与えて自らの威光を示すものとしていった。よって当然、非経済にして多大なる蕩尽活動〔ポトラッチ〕であり、礼儀を理解しないモーロック国家からは返礼もなく――蛮族の後裔が支配した現今の「恩を仇で返す」グローバル社会のようだ――、第5回モンゴル遠征の帰途で病没した永楽帝の死後は直ちに廃止された。

とはいえ、このため南海諸国からの朝貢が盛んになり、引いては南海貿易の発展を促した。故に歴史的な意義は極めて大きく、この「鄭和」は中国では絶大なるヒーローである。