今朝の翻訳ストレッチから(以下引用) 激論昨日につづけて「八月十五日」を書く。昭和二十年八月十五日午前四時ごろ藤田侍従長は天皇の書見室にはいった。天皇の無精ヒゲが目立った。飾りだなには、リンカーン大統領と科学者ダーウィンの胸像が置かれてあった。 その4時間前に、天皇は放送録音を終えていた。第一回録音は「少し声が高かったようだ」といって、やり直した。第二回は接続詞が一つ抜けてしまった。だが疲れ切っておられ、三回目の録音は行われなかった。この録音奪取をめぐって、前夜から宮中クーデターが起こっていた。天皇は一睡もせずに、敗戦の朝を迎えられていた。 日本帝国の最高指導者たちは、ポツダム宣言を受諾すべき…