田口周

スポーツ

田口周

たぐちいたる

野球指導者。ヤクルト球団前社長。

右投右打、ポジションは投手背番号は55→69番。

東京都出身。

日本大学三高校から日本大学に進学。

卒業後1956年日刊スポーツ新聞記者を務める。

1962年日大三高の監督を務め、センバツで準優勝を飾る。


1968年サンケイアトムズの二軍監督に就任。プロ経験のない指導者としての就任であった。

ヤクルトスワローズとなる1975年まで務める。

1976年、スカウトに就任。多くの選手を見出し、その後、スカウト部長となる。

また一方で、高校の先輩であった根本陸夫に師事し、球団編成に手腕を振るう。

フロントとして体質を改善し、1987年には関根潤三を、1990年には野村克也を監督に招聘した。


1997年、球団社長に就任。名フロントとしてスワローズ黄金時代を支えた。


2000年、古田敦也シドニーオリンピックに出場させないと明言し、賛否両論を得たことで印象深い。


2001年、スワローズOB会長を務める。

同年、退任。

晩年はヤクルトスワローズ相談役を務める。

2006年7月19日、心不全のため東京都内の病院で逝去。