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田中智学

読書

田中智学

たなかちがく

1861〜1939。日本橋本石町うまれ。幼くして両親をなくし、10歳で出家得度するも、18歳には無難なアカデミズムに過ぎない仏門を否定し、僧籍返上。1884年に「立正安国会」を設立。これが後に「国柱会」となり、石原莞爾高山樗牛姉崎正治宮沢賢治中里介山といった、錚々たるメンバーに影響を果たし、1941年の大東亜戦争(=太平洋戦争)当時、右翼運動家たちを中心に広まった「八紘一宇」も、智学独特の日蓮宗発想*1である。(勿論、元々「日蓮宗」は強く他宗を批難・排斥し、トラブル多き狂信的側面が強いが。)新生児への頂経とか、仏式結婚式とか、一塔合安の妙宗大霊廟といった、アイテム数を他宗教に合わせ、開国以来の仏教の近代化に大きく寄与した。

*1:『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇?」の文言を縮めたもので、田中氏の造語