田中緑紅

読書

田中緑紅

たなかりょっこう

緑紅は号。本名は俊二。1891-1969。京都郷土史家・(先駆的)民俗学者

生家
代々の医家であり、徳川時代には九条家の典医を勤めたとも伝えられる。祖父・歌永(本姓源。名は歌朗。字は伯永。号は東濤。通称・田中俊造)は『平安人物誌』慶應三年版「医家」に載る医者(漢方内科)。父・泰輔もまた医者で、京都初の孤児院である平安徳義会の創設(1890=明治23年)に関わった人物として知られる。
略歴
医者を志すも病弱のため断念、横浜の外国系植木会社で働きつつ、花屋の修行を積む。のち京都に戻り、一時期生花店を営む。この時期、明石博高(ひろあきら)の七男・国助(染人)と知り合い、その感化で郷土研究・土俗研究に着手する。1917年(大正6)には郷土趣味社を創立し、翌年には機関誌『郷土趣味』を発行。同誌および『絵馬鑑』全四集(1917-19)などの著作また展示会を通して、(小)絵馬や郷土玩具などについて、全国各地を探訪し収集した成果を報告。昭和期には興味関心を自身の郷土である京都へ絞り、写真で景観や風俗を紹介した『京の面影』(1932=昭和7年)などを発行。戦後も引き続き京都研究を行い、1957年(昭和32)には「京を語る会」を発足し、活動の拠点とした。戦前戦後を通じ、著作のみならず現地見学会講演会活動も活発に実施し、一風変わった京の名士として知られた人物である。
緑紅叢書
京都市歴史資料館の伊東宗裕はこの叢書を、「実は大いに頼りにしながら,見ていないふりをする書物」として、徳富蘇峰近世日本国民史』および『古事類苑』と並び称している。また京都市文化財課の村上忠喜はこの叢書を、「現在ではすでに調査不可能となった、明治初期や中期頃の伝承と写真をふんだんに使用した作品群」と紹介し、緑紅を「京都における民俗学の古写真資料化の先人」と位置づけている。緑紅の子息であり「京を語る会」会長である田中泰彦は、この叢書が刊行されるに至った経緯について以下の逸話を伝えている。

昭和32年安井金比羅宮で「京の話」と題する無料講演会を毎月開いていた時、ファンの料理店主が「聞き流しではもったいない。本にまとめて出しとくなはれ」とポンと五万円さしだされました。この義?心に感じて昭和32年5月には「京都を語る会」と改称「京の話」をまとめた緑紅叢書(中略)を刊行しました。

評価
近年、(小)絵馬研究・郷土玩具研究の先駆者として、あるいは古写真資料化の先駆者として、評価がなされ始めている。大正期に刊行された『郷土趣味』は、同時期の柳田国男による『郷土研究』とはまた違った視座による「郷土」へのアプローチとして、もっと注目がなされてもよい。民俗学のみならず、日本史・地方史・写真史あるいは地理学など様々な分野で位置づけられるべき緑紅だが、緑紅の業績は、それぞれの分野そのものを問い返す試金石と言えるだろう。

【参考文献およびサイト】