90年代のプロ野球選手。
右投左打、ポジションは投手。背番号は21→18→39番。
1967年6月23日生まれ。高知県出身。
伊野商業高校で1985年、選抜高等学校野球大会に出場。エースとして活躍。
準決勝ではPL学園高校の清原和博を3三振に抑えるなど活躍し、初出場・初優勝を達成。
卒業後、NTT四国に進み、全日本のエースとなる。
1988年、ソウルオリンピック代表に選出される。
肘の故障でプロ入りを拒否していたが、1989年、ドラフト1位で西武ライオンズが指名し、入団。
1年目より先発の柱として活躍。10勝を挙げる。
その後も先発投手として、西武ライオンズの黄金時代に貢献した。
1994年、佐々木誠・村田勝喜・橋本武広との3対3の世紀のトレードで、
秋山幸二・内山智之と共に福岡ダイエーホークスに移籍。
1994年、1995年は先発ローテーションとして登板。1996年以降は中継ぎに転身した。
1998年、古巣の西武ライオンズに復帰して、現役引退。
1999年、西武ライオンズの中国・四国地区担当スカウトに転身。