東京学芸大学附属高等学校

一般

東京学芸大学附属高等学校

とうきょうがくげいだいがくふぞく

東京学芸大学附属高等学校(とうきょうがくげいだいがくふぞくこうとうがっこう)は、東京都世田谷区下馬にある国立高等学校

概要

全国でも有数の進学実績を誇る進学校で、東大進学者数はおおよそ70から100名前後で推移している(詳細は下記「進路」参照)。2004年4月をもって東京学芸大学教育学部附属高等学校から現在の名称に変更された。附属校であるが、東京学芸大学への内部進学制度はない。

本校の生徒ならびにOB・OGは通常「附高(ふこう)」と略すが、これは附属小から附属中にいった児童から広められ、それが附属中を卒業した附高生によって広まったものだと思われる(附属中学校の生徒及び関係者は附属中の事を附中と略す)。他校の生徒などからは「学附(がくふ・がくつき)」と略されることもある。

世田谷区にある本校の他に、海外帰国子女受け入れを目的とする大泉校舎が存在している。但し、本校にも帰国子女の受け入れ枠がある。2006年1月26日、附属高校大泉校舎と附属大泉中学校を統合・再編し、中高一貫教育を行う「国際中等教育学校(仮称)」とすることが発表された。

入学試験

現在は、筑波大附属駒場高校開成高校などと共に首都圏最難関校の一校である。上記二校が共に男子校であることを考慮すれば、本校は共学校としては最難関として位置づけられる。かつて学校群制度が施行されて都立校の進学率が落ちて以降、東京学芸大学附属の各中学校からの内部進学者数が増加し、入試の難度も上昇した。

入学試験は大きく3つに分類できる。

  • 内部

竹早、世田谷小金井、大泉という4つの附属中学校からの進学については内部入試が行われているが、一般の中高一貫校のようなほぼ全員が合格できるシステムではなく、約半数〜1/3程度が本校に進学する。カリキュラムについても中学との一貫性はない。

内部進学では竹早・世田谷出身者が多いと言われている。しかし、竹早・世田谷の方がもともと中学の在籍人数が多いこと、さらには小金井・大泉は附属高校(本校)から遠く、通学に要する時間がかなりかかってしまう(特に小金井からは当地まで平均して1時間強かかり、かなり遠い)ために進学を避けるケースもあるということが理由と考えられる。

内部入試筆記試験と附属中学校からの内申書で合否を決定している。

  • 外部

附属中学以外の一般中学からの入学者を「外部生」と呼んでいる。基本的に学区制限が存在しておらず全国から受験者が集まるため、難易度は非常に高い。特に、首都圏で女子が受験可能で、なおかつ学区制限が存在しない進学校は数が少ないので、女子の受験者のレベルは高い。

試験の構成は年代によって異なる。過去においては一次試験(3教科、基本的な問題で構成されており、9割以上取らないと合格しないと言われた)・二次試験(5教科)・面接という3段階の試験を行っていた時期や、抽選(受験番号の下一桁で抽選を行い、当選した受験者だけが筆記試験を受けられる)・筆記試験・面接という時期もあった。近年は筆記試験(5教科)と面接の2段階で選抜を行っている。

筆記試験問題は年によって内部進学入試と同じ場合もあるが、違う年もある。ここ数年は共通問題となっている。問題の傾向としては全教科において総合的な問題が出題され、受験者に偏っていない実力を要求している。

内申点にもよるが、合格の目安として、5教科総合で「内部生なら7割、外部生なら8割とれれば合格」と言われている。また、合否はほとんど筆記試験の得点で決まっていて、よほど常識はずれな発言・態度をしない限り面接は影響しないとも言われている。ただし、試験の難易度や自己採点の精度などの問題もあり、こういったうわさ話が事実かどうかは不明である。一昔前の生徒の保護者が教員の「面接には意味はない」「歴史的になぜか続いている」との発言を聞いている。

  • 海外帰国生

帰国生専門の大泉校舎とは別に、本校でも海外からの帰国生を受け入れており入試も別個に実施されている。入試科目は筆記試験(3教科)と面接。一般生徒との混合方式で受け入れるため同等の学力レベルが求められることに加え、国内受験生(内部・外部)とは違い、面接(年によって違うがグループ面接の場合が多い)も重視されると言われる。

設備

校内は非常に広く、大きなグラウンドが2つ(大グラウンド・芝グラウンド※芝はない)と体育館が3つ(大体育館・小体育館・柔道場)、さらにはそれらとは別に講堂、西館、別館がある。L字型の校舎は歴史を感じさせる芸術的な造りとなっており、テレビドラマや映画の撮影に使用されることもある。正門から昇降口までは見事な銀杏並木が並んでいる。季節を通して美しい並木の様子から「ロマンス街道」と呼ばれている。

反面、2005年度までは図書館やPCルームなど一部を除いてはクーラーなどの設備が整っていなかった。現在では、卒業生や父兄から寄付金を募るという形で全普通教室に冷暖房が完備された。遠距離通学の生徒や下宿生が多いにもかかわらず校内に食堂がないのは、現状で既に生徒数と比較して施設ののべ面積が広すぎることが原因であるとされている。また、冷房設備の維持費によって首が回らなくなるのではとの危惧もある。

国内の高校としてはかなり早い時期にコンピューター教育を取り入れており、パソコンが普及する以前から数学の授業でマークシートを利用したプログラミングを教えていた。現在ではMacが初期モデルから最新型まで揃えられている。Macである理由は、学校が校内LANの設備を整えようとしたときにWindowsマシンにはそれが可能な物がなかったからである。また、当時アップル社が教育に関わる研究に対して援助を行っており、予算のない状況における窮余の策とも言える。

しかし、最近はIT部門のみは予算が潤沢らしく、IntelMacの導入およびそれへのWinXP搭載という計画もあるらしい。

また、約1億円かけて造られたバーチャルリアリティ教室という設備もあるものの、現在は故障中で使用不可である。

教育

文理の教科選択は3年生からであり、2年生までは文理を問わず社会科や理科を幅広く履修する。授業の内容は一応教育課程と教科書に沿ってはいるが、多くの教科は教科書の水準を質量共に上回る発展的な授業を展開する。大学入試をまったく意識していない訳ではないが、入試対策に明け暮れるような授業はほとんど観られない。

また校風は自由主義的であり、校則も非常に緩やかなものである。

学校行事

6月に行われる体育祭、9月に行われる辛夷祭(文化祭のこと。「こぶしさい」と読む。通称「こぶし」)、1月に行われる下馬祭(合唱コンクールのこと。「しもうまつり」と読む。通称「げばさい」)は「附高三大祭」などと呼ばれている。体育祭は天気が良い場合はそれなりに盛り上がるが、悪天決行の場合地獄絵のような状況になる。下馬祭が盛り上がるかどうかはクラスの雰囲気次第である。

中でも9月に行われる辛夷祭は全校的な盛り上がりを見せる。クラスごとに出し物を決めて参加するが、毎年1年生は娯楽、2年生は食品販売・模擬店(各部活も食品関係の模擬店が多い)、3年生は演劇が多い。特に3年生各クラスの演劇はセット等も自作する本格的なもので、辛夷祭の目玉となっている。その他にも音楽部や演劇部、合唱部、中庭ステージ(通称「中ステ」)でのライブなど出し物も数多い。タイ国留学生によって毎年出店されるタイ風喫茶店は、タイ料理も提供される本格的なものとなっている。一部父兄より、3年次の夏休みを辛夷祭のクラス演劇に費やすことが大学受験の障害になるのではないかという指摘がなされ、辛夷祭そのものが7月に開催されたこともあったが、現在では9月初旬〜中旬の開催に戻っている。

他の行事としては修学旅行マラソン大会こどもの国)・球技大会・カルタ大会・地理実習・地学実習・科学技術実習・古典劇鑑賞・現代劇観賞・プラネタリウム見学・スキー教室など、とにかく行事の多い学校である。1年時に参加必須の夏の妙高山登山、冬のスキー教室(希望制)は妙高寮にて行われる。また実習や劇鑑賞には必ずといって良いほどレポートを要求される。できが悪いとその場で返されて再提出を命じられることもあるため、時期によっては附高生は地獄のように忙しい日々を送る。

高校側の生徒への要求として行事当日の打ち上げは禁止されているが、実際には守られていない。というのも、教師陣が規制する気がなく、有事の際規制してるという言い訳をするためだけの規定と見なして問題はない。 辛夷祭後の打ち上げで、深夜禁止区域で酒を呑みつつ花火をするなどして騒ぎ、警察沙汰になったこともある。

男女共学

本校の特筆すべき点として、進学校としては珍しく男女同数の共学校であるという点が挙げられる。 各学年8クラスで、1クラスの構成は男子23名・女子22名、またはその逆となっている。

男女の仲が良いのも特徴である。駅から学校まで二人で学校に来るカップルが使う裏の通学路、通称カップルロードがある。しかし、入学したての1年生がすいている通学路と勘違いして、1人で通ってしまうことも少なくない。

卒業後、本校出身者同士が結婚する例も多いという。

通学路

最寄り駅からの通学路はかなり複雑で、初めて学校を訪れる人が迷わずに学校に到着したという話はほとんどない。東横線学芸大学駅前の交番には本校までの地図が常備されている。田園都市線三軒茶屋駅からも歩けるが、渋谷駅での乗り換えの便などから田園都市線沿線の生徒以外はほとんどが学芸大学駅から通学している。尚、渋谷駅南口から「学芸大学付属高校」まで東急バスが出ている。

通学路の途中にはかなり狭い道があり、本校生が通学路を独占してしまって移動の邪魔だという近隣住民の声が出ているため、カップルロード(こちらの方が遠回りだが道が広く、わかりやすい)を使って学校に行くように促す運動も始まろうとしている。カップルロードは、その昔アベックストリートと呼ばれていた。

なお「カップルロード」に対する通称として、通常の通学路にはネコが多いことから、「おにゃんこストリート」と呼ばれたこともあった。 また、カップルロードに対するアンチテーゼとして、「毒男ロード」や「孤独ロード」なるルートがあるとの噂もある。

また、学区制限がないこと、帰国子女を受け入れていることから、近隣の学生会館などに一人暮らしをしている生徒も多い。

制服

本校では制服着用義務が生徒に課せられている。

冬服は制定されてから半世紀間不変のデザインとなっており、すでに伝統として深く根を下ろしている。男子の上着は紺色の学生服に銀色のボタン、詰襟の左襟には泰山木の花をかたどった大きい銀の校章バッジをつけ、白いプラスチックのカラーを入れる。女子の上着は身頃・襟とも紺のセーラー服に紺色の3本ラインとなっており、襟には男子と同じデザインの校章バッジと胸当てをつけ、青いスカーフを、スカーフの両端にプリーツを折ってから結ぶ、蛾結びと呼ばれる独特の型で結ぶ。しかし最近では女子のスカーフの代わりに制服店で売られている出来合いのリボンを使う生徒も多い。ズボンとスカートは、共布の紺色である。

6月〜9月は夏服期間である。男子は、グレーのズボン、胸ポケットに校章バッジをつけた白いワイシャツ、また女子は、校章バッジをつけた紺の襟に白い身頃、紺の3本ラインのセーラー服になる。

創立当初は制帽着用も義務で、服装指導は厳しかった。激しかった高校紛争で制服そのものは廃止されなかったが、そこでかち得た自由の主体的表現として、70年代にほぼ全員の男子生徒が、制帽をかぶらなくなり、上着の襟元を開けた。1990年代半ばに「制撤会」が制服自由化運動を展開したことがあったが立ち消え、以来制服は特に問題なく生徒の間に定着している。

従来、男子の冬服の詰襟は着やすさに配慮し低めにしてあったが、2004年にこれを作っていた指定店が倒産百貨店が扱うようになって、襟が高くなった。このため、特に中学時代ブレザーになじんだ新入生は、高いカラーに慣れるまで多少の努力がいるだろう。その窮屈さから逃れようと、着崩す生徒もおり、現在も、制服の着方についての議論が時たまわき起こる。

進路

ほぼ100%の生徒が現役または浪人の後で大学に進学している。現役進学率は50%程度。2006年度実績では、下記の大学へ最も多く進学している。(進学者数順)

なお、上述の通り附属校ながら東京学芸大学への内部入試制度はなく、一般入試で入学している。

著名な卒業生

  • 学問

大槻東巳 - 上智大学教授、物理学者

野矢茂樹 - 東京大学教授、哲学者

茂木健一郎 - 脳科学

吉村作治 - 早稲田大学教授(東京学芸大学教育学部附属高等学校竹早校舎OB)

渡部直己 - 近畿大学教授

宇野毅明 - 国立情報学研究所助教授

大隅典子 - 東北大学大学院医学研究科教授、生物学

小谷元子 - 東北大学大学院理学研究科教授、数学者

高山佳奈子 − 京都大学教授、刑法学者

寺尾美子 - 東京大学大学院法学政治学研究科教授(英米法

和仁陽 - 東京大学大学院法学政治学研究科助教授(法制史)

  • 政治

赤城徳彦

倉田寛之

千葉景子

木村義雄

棚橋泰文

島田仁郎 - 最高裁判所長官

横尾和子 - 最高裁判所裁判官

伊藤真 - 伊藤塾塾長

早川吉尚 - 立教大学法科大学院教授(国際私法)

香山リカ - 精神科医、作家

石黒達昌 - 外科医、小説家

  • 芸能

マッスル北村 - ボディービルダー

森圭介 - 日本テレビアナウンサー

平井理央 - フジテレビアナウンサー

中田敦彦オリエンタルラジオ) - お笑い芸人慶応経済学部在学中

和田篤子 - ピアニスト

岩村隆二 - フルーティスト

千野秀一 - キーボード・他

野口玲子 - ドイツ・リート

森田柊山 - 尺八

岡淳 - テナーサックス

浅田秀子 - メゾ・ソプラノ

成井豊 - 劇作家・演出家

布川俊樹 - ジャズ・ギター等

小森輝彦 - バリトン歌手

水原央 - 劇作家・演出家

中村敬一 - オペラ演出家

植村なおみ - よみうりテレビアナウンサー

国井雅比古 - NHKアナウンサー

  • その他

高島肇久

小椋凌