「家計の縮小をはかるため、先祖伝来の西間門の家を去って、沼津の真砂町に移転、父の五十才頃ですので、経済的には最も困った時代と思います」 曽祖父の三周忌に当たる1974年、その妻と7人の子がつづった「父の思い出」という小冊子の中で曽祖父の長男・喜一が記した、昭和6年(1930年)の曽祖父の家の記録だ。 西間門の家は子供たち全員に乳母が付き女中さんが複数いる大所帯の屋敷だったそうで、そこを出て真砂町の借家に移らざるを得なかったことは、喜一らの記録を読む限り、一家没落の象徴的な出来事だったようだ。 曽祖父の家は片浜村(当時)の地主一家の分家で、その頃には本家も傾いていたようで「当時、小作代より税金の…