湯浅禎夫

スポーツ

湯浅禎夫

ゆあさよしお

プロ野球毎日オリオンズの選手・監督。

本名「虎雄」。

右投右打、ポジションは投手背番号は35番。

1902年10月2日生まれ。鳥取県出身

米子中から明治大学に進み、1923年、エースとして東京六大学野球初優勝に導く。

1925年秋、対立教大学、対東京大学戦と2度のノーヒットノーランを達成。

同年のシーズン106奪三振は東京六大学記録。


1926年大阪毎日新聞に入社し、戦後、運動部長となる。

1950年、毎日球団設立毎日オリオンズの初代監督(総監督)に就任。

2リーグ制になっての初優勝、日本シリーズでも松竹ロビンスを下し、初の日本一に輝く。


同年11月5日、西宮球場での阪急ブレーブス戦で浜崎真二と共に先発で登板。48歳での登板は浜崎と共に日本記録。

1試合の登板のみであるが、選手兼任監督に数えられる。


1952年7月27日、「平和台事件」の責任をとり、総監督を解任、別当薫が選手兼任で監督に就任。

1953年総監督に復帰。若林忠志監督を支えた。 同年、退団。


1958年近鉄パールスの監督の座が約束されていたが、病気のために辞退。


1958年1月15日、逝去。