(721年生まれ - 783年没)
奈良時代の公卿。藤原北家初代・藤原房前の五男。
左大臣まで昇進するものの、晩年は失脚し失意のうちに病没した。
生前は、特質した業績はないものの子孫から、多数の有力武家を輩出し、また公家としても堂上家格の家を複数輩出し、死後に公家・武家とも多数の家門を輩出した。(特に藤姓の大名のほとんどは魚名の子孫を自称しており、後付けの結果ではあるが、藤姓武家の始祖ともいえる人物である。)
堂上家の四条家(四条、油小路、櫛笥、西大路、八条、山科、鷲尾)。*1
安達・伊達・富樫・林・加藤・後藤・進藤・竹田・斉藤・疋田・堀・遠山・仙石・間部、豊田、吉原、など各氏