藤原実資

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藤原実資

ふじわらのさねすけ

平安時代中期の公卿。後小野宮と号する。また、賢人右府とも呼ばれた。

天徳元(957)年生、永承元(1046)年薨。

藤原斉敏の子、祖父藤原実頼の養子。母は藤原尹文女。同母兄に藤原高遠、藤原懐平。

祖父藤原実頼の養子となり、小野宮流の嫡流として豊富な財産と有職故実の知識を受け継ぐ。安和二(969)年に元服従五位下。円融天皇・花山天皇一条天皇の蔵人頭を勤めた後、永祚元(989)年に参議、のち右近衛大将を兼ねる。治安元(1021)年に右大臣に至り、薨去するまで在任。長暦元(1037)年に従一位に昇った。

政務に明るく、賢人右府*1と呼ばれ、また藤原道長に対して批判的であったことでも知られる。

妻は式部卿為平親王の娘婉子女王であったが子に恵まれず、兄藤原懐平の息子藤原資平・藤原資頼を養子とした。

日記『小右記』、有職故実書『小野宮年中行事』。

*1:「右府」は右大臣の唐名。