2日、図書館で『相模武士団』(関幸彦編 吉川弘文館 2017年)の「保元・平治の乱と相模武士」(川合 康)の一節を読んだ。 その論考の中に、相模国府移遷の時期とその要因について、以下のように言及されていたので、抜粋・引用し、備忘録として残しておきたい。_____________________________________(前略) ところが、これまでの研究によって、相模国府は天養年間(一一四五)から保元三年(一一五八)までの間に、大住郡から余綾郡に移ったことが明らかにされており(「相模国関係図」を参照)、その要因は、余綾郡に根拠をもつ有力在庁の中村氏が、大庭氏と対抗するために、国衙を自らの勢…