スマートフォン用の表示で見る

藤原定家

読書

藤原定家

ふじわらのさだいえ

鎌倉時代前期〜中期の歌人。京極中納言と号する。

応保二(1162)年生、仁治二(1241)年卒去。

父は藤原俊成、母は美福門院加賀。同母兄には藤原成家、同母姉には八条院三条、高松院新大納言(祗王御前)、八条院按察(朱雀尼上)、八条院中納言(建御前・建寿御前)、前斎院大納言(龍寿御前)らがいる。また、寂蓮は従兄にあたる。

二十歳頃から父の教えに従って本格的に詠作をはじめ、九条良経らの庇護のもと新風和歌を開拓。「正治初度百首」では後鳥羽上皇から高く評価され、院の歌壇の中心的歌人となり活躍。『新古今和歌集』撰者の一人ともなった。

しかし、承久二(1220)年に後鳥羽上皇の怒りを受けて閉門となり、そのまま承久の乱を迎えた。乱後の嘉禎元(1235)年に『新撰和歌集』を単独撰進。

天福元(1233)年に出家し、法名は明静。

晩年には古典研究や書写校勘ら努め、多くの功績を残した。

自撰歌集『拾遺愚草』、歌論書『近代秀歌』『毎月抄』、日記『明月記』のほか、『詠歌大観』『顕註密勘』など。

「ふじわらのていか」とも訓む。

来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ

百人一首 97/新勅撰和歌集 巻十三 恋三 851