藤原定国

読書

藤原定国

ふじわらのさだくに

平安時代中期の公卿。泉大将(和泉大将)と号する。

貞観九(867)年生、延喜六(906)年薨。

勧修寺内大臣藤原高藤の子。母は宮道弥益女。同母弟に三条右大臣藤原定方、同母妹に宇多天皇女御の藤原胤子*1醍醐天皇女御の藤原満子。子である醍醐天皇女御の藤原和香子は大将御息所と呼ばれた。

按察使、右近衛大将を経て、大納言従二位。贈正一位

菅原道真左遷される昌泰の変は、直接的には定国と藤原菅根が醍醐天皇に対して「天下之世務以非為理」と上申したことにより起こった。その後、国政を担う公卿の一人として「延喜式」の編纂を藤原時平をはじめとして延喜五(905)年に指示されるが、翌年死去。

大和物語』などでは壬生忠岑が随身として仕えていたことが記されており、また藤原時平とも交流があったことが如実である。

妻と子

  • 安倍貞行女
    • 藤原有雅
  • 上毛野安守女
    • 藤原有述
  • 道述女
    • 藤原有清
  • 参木有実女
  • 母不明
    • 藤原有基
    • 藤原有逸
    • 藤原有用
    • 藤原有風