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藤本英雄

スポーツ

藤本英雄

ふじもとひでお

プロ野球選手・監督。旧名「藤本八竜」。

本名「中上英雄」。

右投右打、ポジションは投手背番号は17番。

1918年5月10日生まれ。釜山生まれ。山口県出身。

「李八龍」として8歳で彦島に移り、下関商に進む。

中学時代の恩師の姓を取り、「藤本」とする。

明治大学を経て、1942年、東京巨人軍に入団。

大学時代の恩師の名を取り、「英雄」と改名。

1943年、結婚し婿養子となり、「中上」姓となる。

同年34勝11敗、防御率0.73で最多勝防御率1位のタイトルを獲得。

1946年中島治康の後を受け、選手兼任監督に就任。投手で3番を打った。

1947年中日ドラゴンズに移籍。

1948年ジャイアンツに復帰。

1950年6月28日、西日本パイレーツ戦で、日本プロ野球史上初の完全試合を達成。*1

同年に記録したシーズン7本塁打投手記録。

読売ジャイアンツの第2次黄金時代に貢献した。

1955年、現役引退。

通算防御率1.90は今でも破られていない。

1956年から1957年までジャイアンツコーチ・二軍監督を務める。

1960年大和証券の監督に就任。


1962年、渡米し読売新聞ロサンゼルス支局駐在員を務める。

1968年祖国韓国に渡り韓国野球協会設立に尽力、野球の普及に努める。

1976年野球殿堂入り。


1997年4月26日、心筋梗塞のため東京都内の病院で逝去。

*1:この快挙を記念して、6月28日が「パフェの日」となる。