安土桃山時代の武将。三河国岡崎城主松平広忠の嫡男。幼名は武千代。松平元康。
1542年(天文11年)三河岡崎城(愛知東岡崎市)で生まれる。幼少時代を尾張国織田氏・駿河国今川氏の人質として過ごしたが、1560年(永禄3年)に桶狭間の戦いで今川義元が織田信長により討たれると今川家の混乱に乗じて独立し、信長と清洲同盟を結ぶ。
その後は甲斐国の武田信玄が今川領へ侵攻し、家康は当初信玄と同調していたがやがて敵対し、相模国の北条氏康と連携して信玄に対抗する。一方、信玄は信長と同盟を結んでいたため家康は両者の間に自立的に行動し、1573年(元亀4年)には信長包囲網に呼応した信玄が西上作戦を開始し、三方原の戦いで大敗する。
西上作戦は信玄の急死で頓挫し、家康は武田方への反攻を強める。徳川家中では嫡男松平信康の自刃など混乱もあったが、1575年(天正3年)には長篠の戦いにおいて信長とともに武田勝頼に勝利し、勢力を伸ばす。
同年には本能寺の変で信長が横死し、家康は武田領へ侵攻し天正壬午の乱を経て五カ国を領有する大勢力となる。信長死後の織田家においては羽柴秀吉(豊臣秀吉)と対立し、小牧・長久手で戦うが後に講和し、秀吉に従属する。1590年、後北条氏滅亡後の関東に入封。1596年従二位内大臣となる。
豊臣政権では五大老の地位にあっあが、1600年に関ヶ原の合戦で石田三成を破り、事実上天下を握る。1603年に征夷大将軍となって江戸幕府を開いた。また、大坂夏の陣、大坂冬の陣で豊臣氏を滅ぼす。1616年に没。
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