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徳川慶喜

社会

徳川慶喜

とくがわよしのぶ

最後の征夷大将軍

水戸藩徳川斉昭の七男。母は、有栖川宮織仁親王の娘・登美宮吉子。

一橋家の養子となる。

14代将軍の座を紀州藩主徳川家茂と争って敗れたが、家茂の急死に伴い15代将軍となった。

しかし就任時には幕府の命運は尽きかけており、幕府の滅亡は避けられないものと観念したのだろうか、大政奉還を行い、将軍職を辞した。ここに江戸幕府は滅亡することとなった。

徳川宗家田安亀之助徳川家達)に譲って静岡で謹慎。謹慎解除後もそのまま静岡に留まり、写真などの趣味の世界に没頭する生活を送った。

1897年に上京すると、翌年明治天皇に拝謁。1902年には公爵を授けられるなど名誉回復を果たしている。