十八 広大院(1773年‐1844年) 8代将軍徳川吉宗の享保の改革は大奥にも及び、その職員数の削減はもとより、妻妾の数や大奥の隠然たる政治的影響力もそがれることになった。そのため、吉宗からその子・家重、孫の家治に至る三代の妻妾からは特筆すべき人物は出ていない。この時代の将軍妻妾は子孫を産む役割しか期待されていなかったように見える。 そのことは、後の将軍家となる御三卿・一橋家の祖・徳川宗尹を産んだ吉宗側室の深心院(1700年‐1721年)、同じく吉宗側室で、御三卿の田安徳川家の祖・徳川宗武を産んだ本徳院(1696年‐1723年)、さらには9代将軍家重の側室で、三つ目の御三卿となる清水徳川家の祖…