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内藤大助

(スポーツ)
ないとうだいすけ

北海道出身のプロボクサー。
元WBC世界フライ級王者(第35代)。宮田ジム所属。
1974年8月30日生まれ(団塊ジュニア世代)。北海道虻田郡豊浦町出身。
1996年10月、プロデビュー。
1998年12月、福山登(大阪帝拳)を1回KOに下し、全日本新人王獲得。
2001年7月、坂田健史(協栄)の持つ日本王座に挑むも、分の良い引き分けに終わり、獲得失敗。
2002年4月、ポンサクレック・シンワンチャーの持つWBC世界フライ級タイトルに敵地タイ王国で挑戦。開始早々、右ストレートをヒット。好調な滑り出しに笑みを浮かべ、怪しいステップを踏むも、次の場面で試合はあっけなく幕を閉じていた。1回34秒KO負け。この34秒というKOタイムはフライ級世界戦史上の記録を73年ぶりに塗り替える不名誉な新記録となった。試合後、「押していたのは俺。パワーで勝っていたのも俺だった。そして、カウンターを食ったのも俺・・・。KOパンチは相手がビビって出したヤツだと思う」という名言を残す。
2004年6月、日本フライ級王者・中野博(畑中ジム)に挑戦。2度のダウンを奪った後、偶然のバッティングによる相手の出血のため、6回負傷判定勝ちを収め王座獲得。
同年10月、初防衛戦に迎えた挑戦者・小嶋武幸横浜さくら)を、1回24秒の日本タイトル史上最短KO記録で下す。「最短男」の異名をとる。
2005年10月、WBC世界フライ級王者ポンサクレックに再挑戦。偶然のバッティングによる出血のため、7回負傷判定負け。獲得失敗。
2006年2月、中広大悟(広島三栄)を判定で下し、日本タイトル3度目の防衛に成功。
2006年6月、東洋太平洋フライ級王者・小松則幸(エディタウンゼント)を6回TKOに下し、史上初の東洋・日本王座統一戦を制す。


変則スタイルから放たれる強打、潜在能力、その意外性から3度目の挑戦が待たれている。
2007年7月、ポンサクレックに3度目の挑戦で3-0判定勝利。WBC世界フライ級王座を獲得した。


また、同級の新鋭・亀田興毅に「そんなんおったな。まったく興味ない。ポンサクレックより早く倒したる」と挑発されていたが、自身の防衛戦のポスターでギター侍の格好をして「結局逃げられて…残念! 亀田君、たまには日本人とやろうよ…斬り!!」と逆に挑発。こちらの対戦もファンに望まれている。


2007年10月、亀田大毅を圧勝で下し(判定)、王座初防衛。
「国民の期待に応えました」が名言に。
防衛後の週刊誌のインタビューで母親が再婚したため、苗字が3度変わっていることを明らかにした苦労人である(またインタビューでは、今まで噂に過ぎなかった元いじめられっ子だったことがボクシングをはじめる動機の1つになったことも明かしている)。またプライベートでは1児の子煩悩な父親でもある。

CM

  • わかさいも本舗「わかさいも」「チョコじゃがッキー」
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