武田氏の駿河支配の拠点として築かれた城。小芝城ともいう。 江尻城が築かれた背景には、武田信玄の駿河侵攻がある。甲斐の武田氏と駿河の今川氏は、信玄の父信虎の代から誼を通じ、信玄の代には北条氏を含めた三国同盟を形成した。しかし、永禄3年(1560)に今川義元が桶狭間の合戦で信長に討たれ、信玄の信濃経略も一段落すると、信玄は海を求めて南へと目を向けるようになる。こうして、永禄11年(1560)12月、信玄は今川氏と正式に手を切り、駿河へと侵攻した。 義元の子氏真は、これに対抗して迎え討つ態勢を取ったが、今川家臣の間にはすでに信玄の調略の手が伸びており、軍の体裁を保てぬまま氏真は掛川城へと落ち延び、事…