右幕下、二条に動座し大阪城天下普請のこと 1571年ごろ 右大将は足利将軍家伝来の職である。それは武家の棟梁、朝家の守護者を意味していた。しかし当代の征夷大将軍である藤乗は四位参議にまでしか上らず、京から逐われて公事は滞った。 足利藤乗 代わって富樫家一が右大将に上ると、天下は静謐となり朝政に恙ない。禁裏もたびたび家一の庇護を頼みにしたので、家一もその意を汲んで京畿へと移ったのである。 なお加賀本国は嫡男の新介行家へ与えて、富樫の家督も譲ることとなった*1。 大御所に 富樫右近衛大将藤原朝臣家一 嫡男・富樫家督富樫新介行家 家一は関白・二条晴良の屋敷を気に入り、そこへ新御所を構えて邸宅とした。…