1920年京都生まれ。無給講師の今西錦司(登山家、探検家としてむしろ著名だった)に弟子入りする。
陸生物から、有蹄類の動物の生態学・動物社会学に専攻をうつし、内モンゴルでフィールドワーク。敗戦後は、それをオタマジャクシの群棲として数理的に把握しなおす。ここにおいて、今西が猿の群棲に関心を移行させるのと分離する。
のち梅棹は民族学に関心を移動させる。国立民族学博物館(渋沢敬三の博物館構想を継承する)の創立に尽力し、初代館長。1986年失明。
2010年7月3日、老衰により死去。90歳。
1957年の『中央公論』2月号に「文明の生態史観序説」を発表。ユーラシア大陸を挟み、ヨーロッパと日本の歴史を並行進化として捉える斬新な視点が反響を呼ぶ。
1969年の『知的生産の技術』が与えた影響の一端は、NPO法人 知的生産の技術研究会 - からうかがうことができる。
また日本語のローマ字化推進論者としても知られる。
ほかの著作については、以下のURL国立民族学博物館|名誉教授・初代館長 梅棹忠夫参照のこと。
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